2018年の通常国会が始まった。この国会の目玉は「働き方改革」だという。産業界全体も後押ししている感じだが、この「働き方改革」という美名に騙されてはいけない。
働き方改革の中身は
1/21の日曜討論にて働き方改革関連法案(政府提出方針)の中身が示された。
何が提示されたかというと、下記の内容である。
働き方改革関連法案(政府提出方針)
▽時間外労働の上限規制
最大 年720時間以内・月100時間未満(※1)▽高度プロフェショナル制度
働いた時間ではなく成果で評価→労働時間の規制から外す(※2)など
「時間外労働の上限規制」は非常にわかりやすいが、「高度プロフェッショナル制度」は読んだだけでは何の事かサッパリ分からない。そして、結局中身は前にも取り沙汰された「ホワイトカラー・エグゼンプション」と同じ、残業代ゼロ法案になるようなのである。
残業代ゼロと安倍晋三
この「残業代ゼロ」法案。日本におけるそもそもの始まりは第一次安倍政権である。
07年1月にも、第1次安倍政権は労働時間法制の緩和として年収900万円以上の労働者を対象に「ホワイトカラー・エグゼンプション」(一定の類型業務に就く労働者について労働時間規制の適用除外とする)が検討されている。この時は、「過労死を招く」などの強い反発を受けて国会提出は断念している。
その後、「家族団らん法」と名前を言い換えるよう舛添厚労大臣が指示したがこれも批判され、そのたった半月後の9月26日に突然、安倍晋三は辞意を表明する。第一次安倍政権は様々な批判を浴びたが、実質的に第一次安倍政権を殺したのは、ホワイトカラー・エグゼンプションであった。
第一次安倍政権のあと、福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣、菅内閣、野田内閣と5つも政権が出来たが、残業代ゼロ法案を出してきた政権は一つもない。残業代ゼロ法案は、自民党政権であろうと、非自民党政権であろうと、安倍政権でのみ提出され、他の政権で提出されることは決してないのである。
また、残業代ゼロを通すために、安倍政権は実に姑息でくだらないことを何度も何度もやっている。中身を基本的に殆ど変えず、名前をコロコロ変えるのだ。
ホワイトカラー・エグゼンプション → 家族団らん法 → 高度プロフェッショナル制度
という流れである。わけの分からない名前で制度を打ち出し、中身がバレて批判されると名前だけ変え、何度でも出そうとしてくる。これ以上姑息な話があろうか? 何度名前を変えようと、結局残業代ゼロがだれかに適用される制度であることは同じである。また、「適用されるのは、特殊な職能を持っていて、且つ年収XXX万円以上の人だけ。一般的な労働者には関係がない」などと言って、さも世間には関係なさそうな事を言うのも毎度一緒なのである。
しかも今回は、「働き方改革」などと名付け、長時間労働から脱却しようなどと言いながら、実際には長時間労働に歯止めがかからなくなりかねない法案を混ぜ込もうというのである。
派遣法の適用範囲が拡大されていった経緯を見ても、「適用されるのは一部の人だけ」などということにならないのは火を見るより明らかである。最初は専門職だけにしか適用されない制度だったはずが、一時は日雇い派遣まで認められていたのである。
また、この制度については「小さく産んで大きく育てる」と、塩崎厚生労働大臣(当時)も、財界人を前にはっきりと言っている。
この残業代ゼロ法案だけは、絶対に通してはならないのである。
残業代ゼロと憲法改正
安倍政権はなぜここまで残業代ゼロにこだわりを見せるのか? 自分は憲法改正が関係していると読んでいる。
資本家の夢である「給料の要らない従業員」を叶えてやる代わりに、経済界は安倍晋三の夢である憲法改正を全面バックアップする、というお互いの夢が実現するWin-Winの構図である。もちろんその構図の中に、国民の夢も人生も登場しない。
どういう風に経済界が憲法改正をバックアップするのか? 彼らはテレビ局のスポンサーなので、テレビ局は彼らの言うようにテレビ番組を作る。スポンサーから「改憲に肯定的なニュアンスを含んだ番組を作れ」と言われ続けたとしよう。テレビの制作現場が断りきれるはずなどないのである。
安倍晋三は本日の所信表明演説で、まず明治維新150年を持ち出してきた。次に働き方改革を語り、最後に憲法改正を語った。明治維新150年を、改憲の大きなきっかけにしたい、という意思がはっきりと見える。働き方改革の美名のもとに混ぜ込まれる残業代ゼロ法案は、いわばその露払いの役目なのである。
安倍晋三は、過去には憲法改正を東京オリンピックに合わせて達成しようなどとも言っている。
安倍晋三は、「歴史の中に自分を位置づけたい」という意志が、近年のどんな総理大臣より強い男である。それはもはや誇大妄想と言っていいほどである。
我々は今、愚かな誇大妄想狂に政治を任せ、日々の残業代すら払われなくなる未来を自ら招こうとしている。