雑記(主に政治や時事について)

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取材活動すらしない産経新聞は本当に新聞といえるのか?

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産経新聞は去年12月9日、沖縄で米軍海兵隊が高速道路上で交通事故に遭遇し、危険を顧みず人命救助を行っていたところ、海兵隊自身も事故に巻き込まれた件について報じた。だが、本件の報じ方はどちらかと言うと、沖縄の主要紙が本件を報じないことへの批判に主眼が置かれたものだった。

www.sankei.com

 

上記記事の締めは下記のコメントであった。なかなかの勇ましさである。

「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。とまれ、トルヒーヨさんの一日も早い生還を祈りたい。 
那覇支局長 高木桂一)

 

これに対し、琉球新報が本日(1月30日)反論の記事を書いた。反論というか、取材の結果、なんと海兵隊員が人命救助をしたという事実は確認できないというものであった。*1

ryukyushimpo.jp

 

 

取材活動すらしない産経新聞は本当に新聞といえるのか?

琉球新報によると下記のように、産経新聞は主要な関係先に対しロクに取材をしていなかったようなのだ。

海兵隊は29日までに「(曹長は)救助行為はしていない」と本紙取材に回答し、県警も「救助の事実は確認されていない」としている。産経記事の内容は米軍から否定された格好だ。県警交通機動隊によると、産経新聞は事故後一度も同隊に取材していないという。

 

そもそも交通事故についての報道なのに、県警交通機動隊にも取材していないとか、全くわけがわからないとしか言いようがない。はじめから、事実確認をするつもりなど無かったということだ。

琉球新報の取材に対し、産経新聞の高木桂一那覇支局長は「当時のしかるべき取材で得た情報に基づいて書いた」と答えたとのことだが、交通事故に関する記事を書くのに、県警交通機動隊は然るべき取材先ではないという事なのか?

上記から、産経新聞本件を交通事故についての記事というより、政治的意図を持った記事として、はじめから結論ありきで書こうとしていたことが大変良くわかる。

 

それにしても、産経の記事に下記の関係者コメントが有るのだが。

米第三海兵遠征軍の担当官は産経新聞の取材にこう答えた。

海兵隊はいかなる状況であろうとも、また任務中であろうと任務中でなかろうとも、体現される誠実や勇気、献身といった価値をすべての海兵隊員に教え込んでいる。別の運転手が助けを必要としているときに救ったトルヒーヨ曹長の行動はわれわれ海兵隊の価値を体現したものだ」

 

海兵隊自体が否定している人命救助について、こんなコメントをしているのは誰? もしかして、産経新聞の高木桂一那覇支局長様の頭のなかに住んでいる、小人海兵隊員にでも取材したのか?

 

産経新聞及び高木氏の「日本人らしい処し方」を期待する

本件、繰り返しになるが、産経新聞琉球新報を下記のように批判していた。

「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。とまれ、トルヒーヨさんの一日も早い生還を祈りたい。 
那覇支局長 高木桂一)

 

これを琉球新報に完全否定されたばかりか、こうまで書かれている。

曹長の回復を願う家族の思いや県民の活動は尊いものだ。しかし、報道機関が報道する際は、当然ながら事実確認が求められる。最初に米軍側が説明を誤った可能性を差し引いても、少なくとも県警に取材せずに書ける内容ではなかったと考える。

産経新聞は、自らの胸に手を当てて「報道機関を名乗る資格があるか」を問うてほしい。(本紙社会部・沖田 有吾)

 

「報道機関を名乗る資格があるのか」を完全に打ち返された格好である。また、内容やロジックも完全な正論としか言いようがない。取材活動さえロクにしていない組織が報道機関を名乗れるはずがない。

誤報だとか事実の捏造だとか、そんなレベルの高い話ではない。つまみ食いした事実をつなぎ合わせる接着剤として願望をつかい、ロクに取材さえせず書き散らした、まさにネトウヨまとめブログレベルの記事だったということだ。

 

産経新聞は、日々「日本人らしい」「日本人として誇り」みたいなワードをを紙面に記載している新聞である。件の記事でも「日本人として恥だ」と書いている。また、産経新聞的な定義で言えば、日本人の特徴の一つに「潔さ」というものがあるはずである。

 

産経新聞の高木桂一那覇支局長には、誇り高く潔い「日本人らしい処し方」を求めたい。*2

 

2018.02.08 追記

産経新聞は下記のように記事の削除と謝罪記事を掲載した。この手の謝罪記事としてはなかなか異例の長さであるが、ロクな取材もせず憶測に基づく記事を書いたばかりか、イデオロギー的に他社を批判するなどありえない話であり、当然のことである。

www.sankei.com

 12月9日に配信した「危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動スルー」の記事中にある「日本人を救助した」は確認できませんでした。現在、米海兵隊は「目撃者によると、事故に巻き込まれた人のために何ができるか確認しようとして車にはねられた。実際に救出活動を行ったかは確認できなかった」と説明しています。

 記事は取材が不十分であり削除します。記事中、琉球新報沖縄タイムスの報道姿勢に対する批判に行き過ぎた表現がありました。両社と読者の皆さまにおわびします。

 

虚偽ではなく、「行き過ぎた表現」なのだそうだ。産経新聞では随分と斬新な日本語の解釈をされているのですなぁ。

*1:なお、琉球新報は下記のようにも書いており、海兵隊員が人命救助を行ったかもしれない可能性について、まだ否定はしていない。

本紙は12月2日付朝刊で事故の発生と曹長の男性が意識不明の重体で搬送されたことを報じた。インターネットの産経ニュースの報道後「なぜ救助を伝えないのか」という意見が本紙に多く寄せられた。続報を書かなかった最大の理由は、県警や米海兵隊から救助の事実確認ができなかったからだ。一方で救助していないという断定もできなかった。海兵隊は、現場にいた隊員の証言から「他の車の運転手の状況を確認はしたが救助行為はしていない」と回答したが、曹長が誰かを助けようとしてひかれた可能性は現時点でも否定できない。

*2:産経的「日本人の誇り」像に合致した身の処し方は流石に苦しいというのであれば、せめて謝罪記事を大きく載せることが、社会人としての最低限の仁義かと思うが、如何だろうか?