この基金については、基金への政府の拠出そのものより、57億円の語られ方について疑問がある。
共同通信の記事のタイトルを見ると、イヴァンカ・トランプ個人の私的基金に政府が拠出したようにみえる。また、安倍首相自身も「イバンカ氏が主導した基金を強く支持する」と表明し、基金の設立は彼女の功績であると強調している。
だが、私的基金に政府が拠出するのは、明らかに日本国憲法89条に違反している。自分も最初記事を見て、これは不味いのではないだろうかと反応した。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
ところがその後別の記事を見ると、どうやら彼女は基金への立ち上げに関わったことは事実だが、管理や資金調達には関わっていないという事がわかった。どうやら運営主体は世界銀行とのことで、つまり「公の支配に属する」団体なので、憲法違反にはならないようだ。
やれやれ、ミスリードな記事と首相であると思いつつ胸をなでおろしたが、本件の議論はあちこちに飛び火し、「トランプの娘の基金だから認めない」だの、「57億もの税金の無駄遣いが」だのという話になっている。*1
自分としては、少なくともモリカケのような無理筋を通した話ではないし、日本国政府として女性の社会進出への支援をすると、G20で国際的に表明した話でもあるので、基本的には悪い話ではないと考えている。
だが、本件の語られ方で気になった事がある。この基金に対する拠出に対し、「57億円もの税金を無駄に」と語る人に対し、「国家予算の規模考えろ! 57億なんて少額だw」と反撃する語り口だ。
57億円は57億円だ。サラリーマンの生涯年収のおよそ20倍だ。少額であろうはずがない。
国家予算全体から比較して少額などというが、そんな比較は全く無意味である。なぜなら、国家の仕事は多岐にわたり、しかもその多くは人々の生活の根幹を握っていたり、時には生死に関わることだからだ。
人間の人生は、1人につき1つしかない。失われた人の命は戻らないし、通り過ぎていった時間は2度と帰ってこない。国家の動向は、時にその人生を握っていて、時に握りつぶしたりするのだ。その活動の鍵を握っているのが、税金を基本的な原資とした、国家予算だ。
人間の人生は、1人につき1つしかないという事は、国家とかデカイことを語るときに、常に忘れられがちなことである。
ここや
ここに
「モリカケなんて国民は興味ねえんだよ。野党は労働者のためになることしろや」って、言ってて矛盾に気が付かねえの本当にすごいわ。加計学園にブチ込まれる百億円以上の税金、この金は何人の人間の生涯賃金に相当するんだろう? とか考えないのかね?
— ボビー・ブラウン (@po_jama_people) 2017年11月2日
書いたとおり、税金は労働者や生活を守るための原資だ。その金は大体数千万や数億円という単位で使われる。そこに、単なる個人的な趣味や思い込みや交友関係が反映されるなどあってはならない。
まして、57億円を少額などと考える発想は、国家と自分を人間と見立て、一方の一般世間をアリンコと見立て、「通り道にアリンコがいたのを踏み潰したところで、不可抗力なのだから仕方がない」と考えるが如き発想なのである。
国家予算のどこにも少額などない。その事だけは、すべての国民が肝に銘じるべき事だ。