このところ忙しく、2週間も記事の間隔が空いてしまった。リニアの入札不正問題について、思うところがあるので久々に書いてみようと思う。
リニア建設という世紀の大事業に、もちろん大手ゼネコンが噛んでいるわけだが、そこで予想通りというか、ゼネコン同士が談合をし、旨味を分け合っていたという話。
談合の何が問題なのか?
ニュースを見て「あー、談合か。なんか悪い事してんなー」と思いつつ、同時に「で、談合って何? 何が悪いわけ?」と、そもそも話がわからない人も世間にはいると思う。
また、以前そのまんま東こと東国原元宮崎県知事が「談合は必要悪だ」と発言し、世間から非難を浴びた。*1
談合とは何なのか? 談合とは何が問題なのか?
談合という行為
談合とは、語源は単なる「話し合い」であるが、ここで言うところの「談合」は、競争入札の参加者同士が落札者と価額とを前もって決める、不公正な話合いの事である。
競争入札とは、落札額の価格競争を行い、できるだけ発注費用を安く抑えようとするために行うプロセスであるが、談合によって事前に価格と落札者が決まっている以上、競争原理は働かない。つまり、競争入札というプロセスは談合によって、事実上形骸化したものになる。
始めから落札者が決まっていては、落札者以外に何のメリットもないようにみえるかもしれないが、そんなことはない。リニアのような巨大プロジェクトであれば、発注は部分部分で分割して行われるので、競争入札は複数回行われる。そこで、談合者同士で皆が平等に旨味を吸えるように、皆に同じくらい利益が行き渡るように誰がいくらで落札するのか調整するのである。*2
リニア建設の場合、談合によってどんな問題が生じるのか? まず途中過程の説明をすっ飛ばして、結論だけ書いてしまうと、最終的に運賃が高い物になってしまい、利用者たる一般の乗客が長年に渡り、損をすることになってしまうのである。
談合の問題点
競争入札というプロセスは、談合によって事実上形骸化する、と上記に書いたが。そのことで何が問題なのか?
もちろん発注者がまず一番に損をすることになる。余計な高い金で物を買わされてしまうのだから、当然である。
だが、談合の問題が発生した場合に、発注者は案外相手に怒っていなかったりする。何故か?
どんなプロジェクトにおいても、予算というのはある程度の範囲で決まっていて、何かを発注した場合にその予算のラインを超えさえしなければ、発注の責任者は少なくとも誰かに怒られたりすることはない。
また、談合が発生するような巨大プロジェクトは、基本的に国家プロジェクトであったり、今回のリニア建設のような独占的な企業体による、競争原理を越えたところにあるものだったりする。そのため、最終的なところで競争原理が働かない事から、談合で価格がつり上がったことによる不利益によって、経営への影響が出るということはない。競争が存在しない以上、最終的な受益者に負担してもらうことで、ペイできてしまうからである。つまり、リニアであれば、その分運賃を高く設定すればよいのである。
やや抽象的な説明になってしまったが、これが談合によって、リニアの運賃が高くなってしまうカラクリである。
また、談合は基本的に参加者を制限することによって成立する。対等な力関係を持った数社で話し合うという形でなければ、利益を分け合うなどという行為が成立するはずがないからである。
つまり、談合に参加できなかった会社は爪弾きにされ、巨大プロジェクトに参画し、企業として新たなチャレンジをし、成長する機会を失ってしまう。それは、企業活動を通じて社会の発展を促し、新たな活力を生み出すという点において、社会全体で大きなマイナスになる。
なぜ防げないのか?
まず、最終的な受益者が、つまり一般の消費者が怒らないのが第一の理由である。不正なプロセスがまかり通り、自分たちが損を被っているにも関わらず、誰も怒らないのだから、やりたい放題になるのは当たり前の話である。
また、「談合は必要悪で、防げない」という話はあちこちで聞かれる。一般の消費者が談合に対して怒りを見せない原因の一つにもなっている。
完全な競争入札となった場合、価格を落とすために建材に粗悪なものを使ったり、価格だけ安いが技術力のない粗悪な下請けを使うなど、各社が無茶な価格の切り詰めを行うことになり、手抜き工事やそれによる事故の発生など、別の問題をを誘発することで、結局受益者にしわ寄せが来るという理論である。
一見、一理ある説明に見えるのだが、これは下記に挙げるような、もっと本質的な問題を浮き彫りにしてしまっている。
- 発注側が受注側の出してきたプランを精査し、現実味のある計画になっているのか精査できず、業者に丸投げになってしまっている。
- 発注側の予算設定が始めから無茶なものであり、不正をやってでもどこかを切り詰めるか、談合によって利益が取れる案件と取れない案件を按分しなければ、どこかが大損を被ることになる。
- 国家プロジェクトや独占的な企業体による巨大プロジェクトの内容を監視し、予算、技術、内容が現実的なものになっているのか、監視する第三者の団体が存在しない(か、存在するがそれだけの力がない)。
何の事はない。そもそも発注プロセスが適正化されていないというだけの話なのである。こんなものは談合を認める本質的な理由になろうはずがない。業界の慣例を皆で改めようとしない限り、談合は防げないという話である。
そして、業界の慣例を改めさせるには、最終的には消費者が、自分たちの被る不利益に対して自覚的になり、怒りを見せる以外にないのである。
モリカケとの関係?
もちろん、直接的な関係など何もない。ただ一点、「日本社会は何故不正と手を切れないのか」という一点において、共通の問題を抱えている。
日本社会には、「国家プロジェクトなのだから、このくらい仕方がないだろう」「このくらいは必要悪だ」「一体誰が損しているの?」「いちゃもんばかりつけるな」などといった、動き出したプロセスに対するブレーキに対し、勢いとか、暴言とか、圧力とか、そういったもので、その意志を踏みにじることで、プロジェクトを無理矢理にでも推進させること良しとする風土があるように思える。「談合は必要悪」というものもその一つである。
そのようにして、巨大システムの統合案件のデスマーチは発生し、餓島やインパールは推し進められ、カミカゼは生み出されたのである。「誰かを犠牲にし、何かを踏みにじってでも先に進め」と、日本人は長年そのように考えることを良しとしてきたようなのである。
国家の安全保障について考えることに対して「サヨクは思考停止するな、よく考えろ」と右寄りな方々はよく仰る。大変ごもっともである。
同時に、社会に不正が蔓延すること、そしてそれを「仕方がないだろう」「何だこのくらい」などと放置する事よる、その長年に渡る影響についても、思考停止せずもっと考え続けてもらいたいのである。
不正は、それ自体が社会に与える影響はたとえ小さいのだとしても、それを放置することの影響は決して小さいものにならない。「この程度の不正なら許される」という意識は、次の不正を生む。そしてその不正の連鎖は、社会に確実に巣食い、国全体を蝕んでいく、ということを忘れてはならないのである。