雑記(主に政治や時事について)

日々の雑感。政治色が高い目。

フリーランチを夢見るネット言論

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There ain't no such thing as a free lunch.

(無料の昼飯なんてあるはずがない) 

 

ハイラインの「月は無慈悲な夜の女王」にも出てくる有名な格言である。

原義としては、酒場で酒を飲む客には昼飯を無料で提供するサービスをやった場合、昼食代は酒代の中に含まれているので、実際には昼食代は無料というわけではないという話だ。現代の日本に置き換えれば、いわゆる「飲み放題」がそれに当たるだろうか。酒代は定額になっているのでお得に見えるが、酒の質を落とし、食事代やチャージ料で賄えるようにしているのであるから、実際にはそれほどお得なわけではない。

上記から、「そんな都合の良い話はない、美味い話には裏がある」という意味合いの言葉となっている。「ただより高い物はない」と同じような言葉であるが、無根拠な疑いの目を向けるだけの「ただより高い物はない」より、「無料の昼飯なんてあるはずがない」の方が、より具体的な例がそのまま端的な格言となっており、大変わかりやすい。自分の好きな言葉の1つである。*1

 

 

ネットの求めるフリーランチとは

 

で、タイトルの「フリーランチを夢見るネット言論」である。

Twitter上で自分の目の届く範囲で、下記のような社会時評的ネット言説を大変良く見かける。

 

結論だけ言ってしまうと、上記4つは全て、この世の何処かにフリーランチがあると錯覚している人間の言葉である。どれも基本的に現代社会を構成する基礎的要素につき、一部の問題を持ち出して「全部嘘っぱちで、無効なものだ」と宣言するような非常に幼稚なものである。

もちろん、ポリコレだのリベラルだのの矛盾はあちこちにあるし、色んな軋轢が社会にあるのは事実だが、なかなか解けないパズルにキレて盤面ごとひっくり返そうというのは、幼児にしかありえない発想である。

 

フリーランチは存在しない

リベラルの人権論(フェミニズム、ポリコレ)は嘘だらけで無効である

フェミニズムについて

ネットのアンチ・フェミニストの多くは、Twitter上で見つけたフェミニストだか珍獣だかよくわからない変な奴をあげつらい、そいつの言説を否定しつつ、「スッ」と日本の古い家父長制に戻すのが社会にとって一番矛盾がなく、合理的であるといった言説を紛れ込ませようとしてくる。挙句、見合いや昔の田舎にあったような夜這いは社会的に合理的であるとまで言うのである。

だが、日本の労働生産人口はすでに減少傾向であり、移民の導入に対する反対も根強く、また長期にわたる不況の影響で出生率の回復もなかなか見込めない。となれば、あとは暫く少ない中で上手い具合にやりくりしていくしかなく、女性に社会進出していただき、共働きで社会を支えるしかない。である以上、頭のおかしい自称フェミニストをいくら叩いたところで、男女同権を目指す社会の動きが留まるはずはない。*2

ましてネットのアンチ・フェミニストは、基本的に移民導入反対者も兼ねている。で、仕方がないので「産めよ増やせよ」を現代に復活させよというのであるが、今すぐ「産めよ増やせよ」を社会全体で実践したとしても、あと四半世紀くらいは労働生産人口の数に入れられないのである。その間の人口減少社会を日本の男たちだけでこのまま支えようというのか?

ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)について

フェミニズム」に比べて 日本にはそもそもあまり「ポリティカル・コレクトネス」なる用語は浸透していないように思うのだが、ネット言論人にはどうやらそれが社会を広く覆っていて、日本の閉塞状況をもたらしているものに見えるらしい。

トランプやその支持者のような白人がアンチ・ポリティカル・コレクトネスになるのは大変良くわかる。特に白人の低所得層にとって、自分たちの独占的権益を拒否しているポリティカル・コレクトネスを排除したいと考えるのは、ある意味で理にかなっているといえる(実際にそれが白人の利益につながるのかは別にして)。

だが、日本人がアンチ・ポリティカル・コレクトネスを訴えるのはどうだろうか? 日本の中で普通に暮らしている分には気が付かないが、どう考えても白人から見て日本人は差別対象である。いや、アメリカに行けば、黒人からも差別されるのではないだろうか。背は小さく、自分の意見を言わず、握手を強く握り返すほどの力もない。そんな連中がアンチ・ポリティカル・コレクトネスを訴えるなど、自爆行為でしかないのではないか?

日本は幕末から明治にかけて、数々の不平等条約を結ぶことになり、日本は近代化の過程においてそれらの改正に奔走することになる。これらの不平等条約はもちろん、当時の日本がそもそも西欧列強に比べて弱い国家だったせいなのだが、世界の建前から「人は人を差別してはならない」という考え方が消え失せたとき、現代においても幕末や明治のような、外交や貿易において大変不利な状況が生まれてしまうかもしれない事が、容易に想像できないだろうか?

 

リベラルに言論の自由を侵害されている

またもや「リベラル」。人気ないねぇ。で、言論の自由を侵害されていると。そういう彼らいわく「差別も言論の自由である」というのである。

民主党政権時代に出版規制や言論統制が行われたというなら、「リベラルに言論の自由を侵害されている」という言い方もできるだろう。もちろんそんなことは行われておらず、実際には色んなことをオープンにしすぎて、内輪揉めがクローズアップされた挙句自壊した政権であった。

「差別をさせろ」というのも「差別をさせるな」というのも、自分に言わせれば言論の自由の範疇である。政治権力の実力によってその自由が奪われない限り、その自由は守られている。

また、「マスコミも権力である。マスコミがリベラル側である以上、権力に言論を統制されているのと同じである」という言い分もあるが、これもしょうもない話である。Youtubeにでもどこにでも、クソウヨがデタラメばかり言ってる動画を垂れ流していられる社会のどこに、言論の自由の侵害があるというのか。

自分がメディアのなり手になれないかつての時代であれば、まだそういう言い方も有効性があっただろうが、誰でも動画サイトなどで発信者になれ、テレビの価値が相対的に落ちてきた現代において「マスコミに言論統制されている」などよく言えるものだ。ネットが普及する前は、同人誌なんかを自分で作るのだって大変だったのだ。*3

これほど社会的に言論の自由が保証された環境を謳歌しながら「リベラルに言論の自由を侵害されている」とは、社会へのフリーランチ要求が過ぎるのではないか?


日本の戦後民主主義は欺瞞だらけである

戦後民主主義」とは、これまた曖昧な言葉だが、これも近年では「リベラル(リベサヨとも)」と並んで無条件で攻撃対象にして良いものになっているらしい。*4

だが、我々が生活において依存している社会インフラから文化フォーマットに至るまで、多くは戦後に生み出されたものである。

例えばインフラに関しては新幹線だって首都高だってなんでも戦後生まれだ。

文化だって、我々が普段食しているものの多くのフォーマットは戦後完成したものだし、音楽にしたって日本の音楽はほとんど戦後できた歌謡曲のフォーマットに収まっているものばかりである。20年前からタイムスリップした人が、今のヒットチャートを見てみんな秋元康プロデュースだと知ったら、「あれ? 夕やけニャンニャンってまだ続いているんだっけ?」と思うだろう。

このように、明治維新以降の戦前の歴史が我々を支えているのと同じように、戦後も我々を支えている以上、「戦後を卒業したい」というのならよく分かるが、戦後の全否定などあり得るだろうか? 歴史のいいとこ取りなどできないはずである。


グローバリズム反対、自由貿易反対、世界は再ブロック化を求めている

新自由主義が労働者の権利を奪い、社会が疲弊しているのだから、新自由主義者の掲げるグローバリズム自由貿易は否定されるべきものである、という非常にシンプル……と言うより、雑な論理である。

自分も新自由主義クラスタに括られるような連中が嫌いである。堀江や田端ゴリラなど経営者というより炎上芸人としか見えない。そのため、連中と少しでも話が合ってしまうのは非常に癪だが、グローバリズム自由貿易を否定するなどアホとしか言いようがない、というのはおそらく彼らと意見が一致するだろう。

反グローバリズムについて

自分が特にネット言論で失笑するのは、反グローバリズム論である。アメリカ人が設計して中国人が生産したiPhoneを使い、日本人が作ったプログラミング言語でアメリカ人が構築したTwitterにチクチク「グローバリズム反対」とか書き込んでいるのである。*5

よく反原発運動をやってる連中に「だったらお前ら電気使うな」と言う者がよくいるが、電気は原発がなくてもいくらでも作れる。火力発電で十分だ。しかし、iPhoneTwitterもグローバル経済あってのものなので、グローバリズム抜きに存在し得ないし、残すこともできないものである。

しかし、グローバリズムは否定されるべきものというより、そもそもそれは環境のようなものである。空や海を否定したところで、空が晴れ上がったり海が割れたりするものではない。それと同じで、グローバリズムを否定したところで、世界はもはやグローバル経済を手放さないだろう。資本主義に「主義」とついているのがおかしいように、グローバリズムに「イズム」がついているのもおかしな話なのだ。

自由貿易反対について

日本は小資源国であり、売り出せるものは人間の作り出した付加価値しかない。小学校の頃からこのことはずっと社会科の授業で聞かされ続けてきたはずである。だから工業生産品を世界に輸出して、戦後復興を果たしてきたのである。

その前提は今も変わらない。経済全体に占める輸出の割合がどんなに減ろうとも、日本で作っている物のほとんどの原料は海外から仕入れているのだ。日本には存在しない物を海外から仕入れ、それを使って生活したり、新しい物を作って国内外に売って経済を回す。そのサイクルはこれから数百年先になっても、日本が侵略戦争でも行い領土を増やさない限り、基本的に変わらないものである。

で、ある以上、自由貿易が存在しない世界で日本人が生きていくことなどできるはずがない。鎖国政策を敷いていた江戸時代だが、その後期の人口推移はある程度わかっていて、おおよそ3000万人からあまり増減しなかったというのだ。おそらく日本が海外から物を輸入しなかった場合、日本の国土において保持できる人口の限度はその程度なのだろう。つまり、自由貿易が世界から失われた場合、日本人の2/3は餓死するしかないのである。

ネット言論人の多くが、「ネオリベの連中がが気に食わないから日本人は2/3餓死しても仕方がない」と言うのなら、俺は迷わずグローバリストの側につく。あいつらと同じ側に立つなんて、肌が粟立つほど気に食わないが、それ以外ありえないだろう。

 

まとめ:諦めてちゃんと現代社会を支えて生きなさい

ネットの主要な言論の発想は、結局全て「自分は現代社会を支える気はないが、誰かが支えている社会に寄りかかって生きていきたいし、それを社会に認めてもらいたい」というものであることがよく分かるであろう。

だが、いくらでもフリーランチが食えるネバーランドはこの世のどこにも存在しない。諦めて、ちゃんと地道に現代社会を支えて生きるのが、我々の正しい生き方なのである。

 

*1:なお、冒頭に掲げた写真もネットで拾った写真であり、これもフリーランチである。ネットのあちこちに(このサイトにも)貼られているネット広告や、クッキーに仕込まれたネットショッピング情報の引っこ抜きなど、色んな所で我々は知らず知らず、遠大な形でコストを払っている。その代わりに、さっきの冒頭のフリーランチ画像等があるのである

*2:それを半分程度は自覚しているから、安倍晋三も「女性活躍」などと言っているのである

*3:何しろそんなノウハウを持っている人なんて、大学で同人誌を作っている数少ない人たちとかしかいなかったから。オフセットの本を自分で作れるなんて、俺だって知ったのは大学に入ってからだ

*4:戦後民主主義」「リベラル」と聞くと、9条の会の面々とか、ああいうのを思い浮かべて、赤い布を見た牛さながらに突撃するのがネット言論人の作法というものらしいのだ。彼らの言う「リベラル」が何なのか、私にはよく分からないが、自由民主党の英語表記は「Liberal Democratic Party (リベラル・デモクラティック・パーティー)」である。

*5:Rubyは誠に偉大な言語である