山上容疑者に安倍晋三が射殺されて2カ月近くが過ぎた。山上容疑者の安倍射殺の動機が、家族を滅茶苦茶にした統一教会への恨みであり、安倍が統一教会の広告塔のように振舞っていたことが安倍を狙った理由であるという事から、テレビでは、統一教会の被害実態や、統一教会と自民党の関係を連日報じている。
そんな中、当たり前と言えば当たり前の、おかしなと言えばおかしな現象が起こっている。ネトウヨがこぞって統一教会を擁護するような発言を連発しているのである。いや、擁護するどころか、統一教会と同じ論理を語ったり、統一教会の信者なのではないかというような発言をしているのである。
ネトウヨや右派言論人の統一教会擁護の事例
まあ、あまりにも多すぎるので、とりあえずこの辺の検索結果を見ていくと良いと思う。
例を挙げればキリがないのだが、彼らのやっているような擁護の手法は概ね下記の傾向を示しているのである。
手法 | 例 |
相対化 | ・自民党は統一教会とズブズブかもしれないが、立民もワールドメイトとズブズブだからどっちもどっち。 ・統一教会はカルトかもしれないが、一番ひどいカルトは共産主義。 |
矮小化 | ・統一教会の信者数は創価学会に比べれば大したことないから、政治に影響なんてない。 ・統一教会が政権与党を動かすくらい凄い組織なら、なんで国教になってないんですかね? |
一般化 | ・統一教会にも信教の自由がある。 ・統一教会にも創価学会のように、政治に近づいて自分たちの主張をする権利がある。 |
被害者化 | ・統一教会はマスコミによって宗教的な迫害を受けている。 ・連日の取材攻勢で心を病んだ統一教会の信者が自殺でもしたらどうするのか? |
上記の擁護など、どれも「統一教会は今この瞬間も献金トラブルなどで、被害が認定されているだけでも1,000億円以上という桁違いの被害を出し続けている反社会的集団なのだから、何を置いてもまず叩かれるべきなのは当然だし、そいつらと政権与党の一員として付き合う事で、いわばお墨付きを与えてきていた自民党が一緒に叩かれるのも当然だ」という事を軸に考えれば論破できることだ。*1
また、上記の擁護の中には、統一教会の見解と同じものがかなり含まれているのである。例えば、「統一教会にも信教の自由がある」というのは統一教会が言うような代表的な考え方だ。言葉尻だけとらえればいかにももっともな内容だが、統一教会が反社会的活動を繰り広げている以上容認はできない。信教の自由でなんでも認められるというのならば、オウム真理教に解散命令が下ったのはおかしいという事になるが、もちろんそんなことはあり得ない。反社会的組織の信教の自由など認められるはずがない。
「連日の取材攻勢で心を病んだ統一教会の信者が自殺でもしたらどうするのか?」にいたっては、先日統一教会が発表した「信者に自殺未遂をする者が出た」という事をそのまま垂れ流してマスコミ批判をする者さえいる始末だが、どこのマスコミも教団から自殺未遂が出たことを報じていないことから、ハッキリ言って未確定情報の類である。いくら「マスコミは信用できない」などと言っても、統一教会の発表は信じてマスコミの発表は信じないというのは、もはや教団の中の人と見られても仕方がないのでは? というような振る舞いでしかないのである。*2
ネトウヨの発言が「統一教会信者化」していく理由
このように、ネトウヨの発言の中には「実は信者なのでは?」というものが多数含まれていたりするのだが、実はネトウヨの中に信者はほとんどいないと自分は考えている。そう考える理由だが、まず1点目として、日本における統一教会の信者の数は少なく、現在6万人程度と推測されているという点だ。どう少なく見積もっても100万人以上は信者がいる創価学会とは規模が違い過ぎる。たった6万人しか信者いないにも関わらず、ネット上でだけそんなに何人も統一教会の信者に遭遇するというのは考えにくい。
2点目として、教義の内容である。統一教会の教義には「日本はエバ国家であり、他の国の信者に比べて日本人が多額の献金を行うのは当然である」という、あからさまに信仰において日本を差別する考え方があり、このようなものをネトウヨの連中が信奉するとは考えにくいのである。
つまり、彼らは統一教会の信者でもないのに、発言が「統一教会信者化」していっているのである。
なぜそうなるのか? 日本をその教義において攻撃している、今世間から最もつまはじきにされている宗教に、何故自ら飛び込んで擁護するようなことをしているのか?
その理由はとても簡単な事で、自民党と統一教会との関係があまりにも深すぎる事が最早自明のものとなってしまったからである。
自民党と統一教会の関係が深すぎる事は最早自明であり、ごまかしがきかないレベルで証拠が残り過ぎている。ならば、自民党を問題ないと言いくるめるためには、下記のロジックを取らざるを得ない。先に挙げた「ネトウヨの統一教会擁護手法一覧」のそのままである。
で、上記のロジックで統一教会を守るやり方だが、じつは昨日今日やり始めたネトウヨより、その道何十年のプロがおり、すでに同じやり方で守り続けているのである。その道のプロが何十年とかけて洗練させてきた道筋だけに、ネトウヨも自然と同じ道筋にたどり着くことになったわけだ。
で、その道のプロとは何者か? 何を隠そう、統一教会自身なのである……。
つまり、ネトウヨが統一教会信者化するのは自明の事なのである。
いっそ本当に信者になった方が理屈が通るのでは?
統一教会の話題が今後どこまで続くのかは分からない。世間はしょせん飽きやすいものだ。だが、この話題が続く限り、ネトウヨは統一教会を必然的に信者のように守り続けざるを得なくなる。自民党を守るためだけに、「日本はエバ国家である」と主張する統一教会を守る大いなる矛盾……。「日本を愛する保守である」との自己認知があり、信者ですらないのに、統一教会を守る発言を繰り返して「お前は信者か?」と言われて叩かれ、哄笑され、しかもその統一教会は「日本はエバ国家である」と罵っている始末。
彼らはいっそのこと、本当に信者になってしまった方が矛盾がなくなって良いのではないかと思う。
「はい、わたくし信者です」と言えれば、統一教会を守る発言をするのに当然矛盾はないし、統一教会と関係の深い自民党を必死で守るのにも何の矛盾もないのである。むろん、統一教会は「日本はエバ国家である」とか「天皇は、文鮮明教祖に土下座して謝れ」とか言っているので「日本を愛する保守である」という自己認知は捨てなければならないが、そんなものは信仰によって上書きしてしまえばよいのである。
信者でもないのにネトウヨ故に信者のように振舞う矛盾を背負い続けるか、統一教会の信者として献金に苦しみつつ矛盾なく信者として振舞うか。
まあ、一番良いのはネトウヨを止める事なのは間違いないのだが。