雑記(主に政治や時事について)

日々の雑感。政治色が高い目。

【棄民世代】ロスジェネ世代という日本国政府に棄民された世代

ロスジェネ世代」という事について考えると、どうも思考が千々に乱れてしまう。そのため、このエントリーは特に、まとまりのない乱文の類になってしまうことを、ご容赦願いたい。

anond.hatelabo.jp

 

いわゆる「ロスジェネ世代」とは、1993~2005年の間に就職活動を行った者を指すが、この中でもだいぶ濃淡があることを、はじめに指摘しておきたい。

1998年頃まではまだバブルの余韻もあり、その恩恵を受けられた世代で、特に悲惨だったのは1999~2005年に就職活動を行った、「就職氷河期」の世代である。

そして、自分もこの「超就職氷河期」の世代に属している。

自分は2003年に就職活動を行い、どうにか正社員の地位を確保しているが、周りの友人達の中にも就職活動に困り果て、社会に出てからもブラック労働に使い潰された者たちがたくさんいた。

 

「ロスジェネ世代」の中でも超就職氷河期世代の人間の実感として、この世代は「永遠に救いの手が差し伸べられない事が保証されている世代」であることが確実であると感じている。なぜなら、「ロスジェネ世代」は年齢的にすでに40代に差し掛かる直前か、すでに差し掛かっているからだ。

この年代で就職に失敗した者は、キャリアが絶望的に積めていない。2000年代初頭に就職活動を行い、正社員として登用されず、ここまで来てしまった人を新たに正社員として登用する会社は、おそらくあまりないだろう。

 

 

「ロスジェネ世代」の絶望

この世代にどういうことが起こっているのか? 例えばこんなことになっている。

 

世代まるごと、同窓会すらロクに開くことができない。「ロスジェネ世代」の両親の世代、つまり団塊世代の人間にこのことを言って、果たして通用するだろうか? その意味すらよくわからないのではないか?

そして、「最近ようやくニュースになった」のは、旭化成の社長による、下記の大変愚かな発言についてのことである。

news.careerconnection.jp

 

当然ながら、これに対するネットの反応は激しいものとなった。

 

この社長が当時会社の採用方針を左右する立場にあったのか定かではないし、多分そんな立場ではなかっただろうと思う。

だが、ネット上でこの発言に対する不満が爆発している状況は当然だろうと思う。この不満は、社長発言そのものだけでなく、「40代前半がいない」状況がすでに既定の事実となっていることが、はっきりと可視化され、且つその状況への救いが何ら提示されない事への反応だからだ。*1

 

「ああ。あなたはガンですね。それも末期の。それではごきげんよう

 

「ロスジェネ世代」が、自分たち世代について世間から言及されるという事は、常に上記のような事になるのだ。すでに40代頃で、同窓会すら開けない世代。もうどんな政策資源を投入したとて救いようがないのだが、そもそもはじめから、「ロスジェネ世代」を政策的に救おうという政権が出て来る気配はかけらもなかった。

 

ロスト・ジェネレーションではない、これは棄民である

そもそも「ロスト・ジェネレーション」とは、1920年代のパリにいた、享楽的な世代のことを指す言葉だ。当時パリにいたヘミングウェイに対して、ガートルード・スタインが投げかけた「You are all a lost generation. あなたたちは皆、失われた世代なのよ。」という言葉に由来する。

日本のいわゆる「ロスジェネ世代」に、そんな享楽にふける暇などあっただろうか? 世間の荒波に揉まれ続け、ただじっと耐え続けた間に、ただ歳だけ取り、なんの救いの手も差し伸べられなかっただけではないのか? ロスト・ジェネレーションなどという横文字に、何か誤魔化されていやしないか?

 

はっきりと言おう。我々は、日本国政府に棄てられた、棄民世代であると。

blogos.com

 

2001年に小泉政権が誕生した。眼下で就職氷河期が猛威を奮っていた時代である。小泉は新自由主義的な政策の大鉈を振るい、派遣労働の規制を大幅に撤廃することで、ある意味では雇用を増やしたが、要するに正社員の職にあぶれたロスジェネ世代 = 棄民世代が、派遣会社という奴隷船に乗せられただけのことだった。*2

痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」は流行語となったが、痛みに10年~20年耐え続けている我々を見て、彼は感動の涙を流していてくれているのだろうか?

その後に安倍がやってきて、教育基本法の改正やら、何ら我々の痛みとは関係のない政策を続けた挙句、「ホワイトカラー・エグゼンプション」なる政策を出してきた。これが世間の怒りを買い、支持率を落とした挙句、持病を悪化させて辞任に至った。

まさかその後再登場し、5年も政権の座につくなどとは誰も考えもしなかったし、あれだけ批判された「ホワイトカラー・エグゼンプション」も名前を変えながらチョロチョロ出してくるとも、棄民世代をまたもや見捨てるとも誰も思わなかった。*3

その後の福田政権も、麻生政権も、鳩山政権も、菅政権も、野田政権も、だーれも我々棄民世代を救うと明言しなかった。*4

就職氷河期の1999年を頭としても、およそ20年に及び、誰も救いの手を差し伸べなかったのである。

 

せめて棄民世代について、唯生きているというだけで褒めてくれませんか?

www.huffingtonpost.jp

 

子供を4人産んだら表彰ですか。20年間「痛みに耐えてよく頑張って」生きている我々棄民世代の事も、少し褒めてくれませんか? 唯生きているというだけで。

「痛みに耐えて、よく生きた! 感動した! なんなら年金貰う前に、もう死んでもいいからね?」なんつって。どうせ救う気なんてゼロなんだろうし。

生まれてきた年代が悪く、ただそれだけで悲惨であるという例なんて、もちろんこれまでも沢山あった。第二次世界大戦の最中や終戦直後に生まれ、栄養失調の中で成長しなければならなかった世代など、我々の世代より遥かに悲惨な世代はいくらでもあった。

だが、我々の悲惨さは、その気になれば政策資源の投入で救えたにも関わらず、「自己責任」だの「痛みに耐えよ」だのと言った上っ面の言葉にごまかされ、ほかの世代に棄てられ、誰からも相手にされなかった悲惨さである。

そして、もう救うことなど最早考えられないくらい時間が経ってから、いきなり「会社に40代がいない。一体どうなっているんだ?」などと言われるのである。棄てられているだけでなく、世代まるごと嘲弄され続けているのである。

 

これからあと20年位で、我々棄民世代の死が社会問題となるはずである。経済力と寿命は密接な関係にある。我々世代の年収及び社会的地位が低い傾向にあるのなら、寿命が短いのも必然である。

60代前後の人間が、路上で行き倒れ、孤独死する。そんなことが全国のあちこちで起こることになるだろう。そして、我々の世代から、日本の平均寿命を引き下げることになるだろう。*5

 

予言するが、先進国で初めて、日本は平均寿命が年々縮む国になるはずだ。

 

その先陣を、我々棄民世代が切る。子も産まず、経済規模の拡大に寄与する機会も与えられず、平均寿命も引き下げて、誰からも救い上げられることなく死んでいく。

そして、日本社会からは「日本の足を引っ張っている世代」と切り捨てられ、路上に打ち捨てられ、日本の「棄民政策」は完成するのだ。

前代未聞の、同一民族の、世代まるごとの棄民である。

ここまでされて、棄民世代は怒らないのか? 何かの破壊活動を行い、社会を恐怖に陥れれば、少しは何か変わるのではないか?

多分怒らない。もう怒りも捨てて、淡々と自分の終焉に向かっている人生を受け入れているのだ。

いや、正確に言うと、人生はもう20代くらいでとっくに終了していて、あとは生物学上の死を受け入れる準備を進めているのだ。まだ40代になるかならないかくらいなのに。

痛みに耐え」ながら、もう20年も怒りを捨てて、淡々と生きているのだ。今更社会を破壊するほどの怒りなど起こるはずもない。ただ恨みを募らせて、潰れて死んでいくか、あるいは下記のような、方向性の判然としない爆発的な鬱屈の吹き出し方を、突発的にするのみである。

 

棄民世代 = 加藤の乱秋葉原連続殺傷事件)世代

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秋葉原通り魔事件 - Wikipedia 

インターネット上の一部で、加藤を英雄視する見方が発生した。この見方においては、加藤に対して「犯人は神」「格差社会の英雄」「勝ち組に対して事件を起こすことで一矢報いた」「犯人は我々のスケープゴートとなった聖人」などと語られた。

 

秋葉原無差別殺傷事件を「加藤の乱」などと呼び、喝采を浴びせたのも我々棄民世代である。

これほど残忍な犯行、理由の如何に関わらず肯定されて良いはずはない。だが、我々世代にとって、社会への恨みは斯様に深い、と言う事をこの事件への反応は表しているのではないか?

その後、類似の連続殺傷事件が数件発生し、日雇い労働の制限を盛り込んだ2012年の労働者派遣法改正につながっている。怒りと狂気が社会を変えた実例なのだが、そのことを報じるメディアはない。彼らは勝ち組の側なのだから、当然である。

 

棄民世代がこれから更に歳を取り、死が近づくにつれ、どうなっていくのか? 秋葉原連続殺傷事件に見られた棄民世代の狂気がいよいよ社会を覆うのか? それとも世代まるごと静かに枯死していくのか?

どちらになるのかは分からないが、結論がどちらになるにせよ、はっきりしていることは、もう棄民世代は手の施しようがない、ということである。

*1:この他人事感は本当にすごい。人間をコマとして見ることに慣れてくると、世代がまるごと打ち捨てられているという事実に対しても「それが何か?」くらいの感じになるのだろう。

*2:我々棄民世代は阿呆の群れなので、小泉を大層支持した。ITバブルなどもあり、周りの少し下の世代の就職状況が良くなるのを見て、「我々にもそのうち救いの手が差し伸べられるだろう」などと呑気なことを考えていたのではないか? 「自己責任」だの「痛みに耐えよ」だの、そんな世間の風潮を作ったのは小泉なのに、なんであいつが救ってくれると思ったのかね? なお、俺は小泉も、その後の安倍も、一切信用しなかった。特に郵政解散を見て、小泉はペテン師にしか見えなかった。

*3:潰瘍性大腸炎よぉ。もうちょっと頑張れよ。

*4:眼下で就職氷河期が起こり、世代まるごと漂流しているのを見ながら、即座に手を差し伸べなかった小泉と安倍の罪が最も重いことは、ここに明言しなければならない。当然のことながら、早い段階で救っていれば、その後のキャリアにおいて、ITバブルで就職が容易だった世代に追いつくことは不可能ではなかった。

*5:あからさまな政策の不作為(失敗ではなく、やるべきことをやっていない)により、ある世代から寿命が伸びなかったり、縮んだりする現象が、あと四半世紀くらいで必ずやってくる。この現象を今のうちから「政策死」として定義しておきたい。左翼用語の「敗北死」みたいな響きが嫌な感じだが。